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政府による緊急事態宣言が出されて約2ヵ月。新型コロナウィルスに対する恐怖や、自粛による経済活動の制限により、私たちの心は沈みがちに。この先どうやって希望を持てばいいのか。「希望学」を研究する玄田有史さんにお話を伺った(構成=篠藤ゆり)

精一杯のときは「希望」に向かえない

4月7日に新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が出された際には、多くの人が一気に緊張したと思います。この先どうなっていくのか、見通しが立たず、不安になった方も多いでしょう。その後、自粛生活にやや慣れてくると、今度はストレスや苛立ちが募ってくる。

1ヵ月ほどたち、毎日発表される新規感染者数の棒グラフが少しずつ短くなった頃から、かすかな光明が見えてきたと感じた人が多いのではないでしょうか。ただそれは「希望」というよりは、「安堵」に近い気がします。

「希望」は未来に向かい始めたときの言葉です。今のことで精一杯のうちは意識されません。2011年3月に起きた東日本大震災後、被災した人々から「希望」という言葉がようやく出始めたのは、避難所が閉鎖され、全員が仮設住宅に入居した8月頃でした。落ち着いて前を向けるようになってはじめて、希望は感じられるようになるのです。

私は05年から、社会にどうやって希望が生まれるのかをテーマに、「希望学」という研究をしています。希望学のフィールドワーク(地域調査)を通じ、岩手県釜石市とは06年からつきあいがあります。釜石は東日本大震災以前から人口減少や産業の不振など、厳しい状況が続いていました。

あるとき、不況で倒産寸前に追い込まれ復活した経験のある釜石の経営者から言われたことがあります。「人から与えられた希望なんて、本物じゃない。希望は、動いて、もがいて、ぶちあたるなかで生まれる。希望に棚からぼた餅はない」。希望はすぐに見つからない。だからこそ探していくことに価値がある。今、先が見えずどうしようと思っている人も、もがいていいのだと思います。

研究のなかで、どういう人が希望を持ちやすいかを調べていますと、面白い発見がありました。一般に若い人は、人生の残り時間が長くて試行錯誤もできるため、希望を持ちやすい。一方で、年齢に関係なく、人生のなかで失敗や挫折を経験してきた人というのも、その後に希望を持ちやすいことも事実なのです。

試練をくぐり抜けてきた方々は、「人生に無駄なことは何ひとつない」「振り返れば、すべての経験が今の自分につながっている」などと言います。私も希望の研究をしたおかげで、うまくいかないときも「この試練の後に希望が来るんだ」と信じられるようになりました。

読者の多くも、家庭や仕事、人間関係などで、さまざまな人生の荒波を経験してこられたと思います。それらをご本人の努力はもちろん、偶然や縁にも助けられ、乗り越えてきた方は、今回も前向きにがんばることができるのではないでしょうか。

もうひとつ見えてきたのは、損得勘定が強すぎると、希望を持ちにくくなること。7割くらいは損得を考えても、あとの3割は「本当の損得なんて先にならないとわからない。まあやってみるか」くらいのいい加減さがあると、希望にも出会いやすいようです。