大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!

薄闇を航行する響の艦橋は、騒々しい。
ごうごうと強風が鳴り、無数の雨粒が窓と外板、天蓋(てんがい)をひっきりなしに叩いている。
窓から見える海は、日中にもかかわらず墨より黒く、ゆっくりうねっている。おかげで小さな響は前後左右に揺れ続けている。
「おう、来たな」
悠々と声を上げた新任の響艦長、沖山少佐だった。
「浦賀。あの波、どれくらいかな」
艦長の声に、浦賀は海図台をあわてて離れる。窓に取りつき、光の乏しい外界を凝視する。やや右手の遠くでは、闇がせり上がっていた。
「波高ですか。一〇メートルかそこらかと」
「それくらいだな。貴様もなかなか、できるようになった」
「艦長に言われると、照れます」
浦賀は兵学校時代の航海科教官に向けて、頭を掻いた。浦賀にとっては偶然の巡り合わせだが、艦長にとっては教え子がたくさんいるのだから、ありえる人事上のちょっとした奇遇にすぎないだろう。
褒められた浦賀だったが、波高については全くの当てずっぽうだった。前に響に乗り組んでいた時は、もともと波が穏やかな瀬戸内海か日本海の沿岸寄りしか通っていない。天候にも恵まれていた。波高い外海に出るのは、今回の航海が初めてだ。短いながらも掃海隊の指揮官をしていた時に、ひたすら波を見つめていた経験が生きているのかもしれない。
「舳先を波に立てよう。速度も落としたほうが良かろう」
艦長が言うと、浦賀より兵学校で三期ほど先輩の当直将校が「はい」と応じた。
「両舷前進微速ォク、面ォ舵ァジ」
「両舷前進微速ォク」
「面ォ舵ァジ」
当直将校の指示に復唱があり、舵輪が回り、チンチンと速力通信器が音を立てる。
「波、来ます」
窓に張り付きっぱなしだった浦賀の声は、つい上ずった。これほど大きな波を間近で見たのは初めてだった。
「何かに摑まれ」
艦長の声に応じて、伝令の水兵が艦内スピーカーの受話器に取りついた。
「波が近い。総員、何かに摑まれ」
風神か雷神から隠れるような小さな声で、伝令は受話器にささやく。摑めるものが手近になかった浦賀は、踏ん張るつもりで両脚に力を込めた。
やがて響の艦体は波に乗り上げ、そのまま落下する。うおっ、と誰かが唸った。
「帰りは、南方で苦労していた将兵を乗せる。せめて彼らを、豪華客船より優雅な操艦で帰国させたい。この時化(しけ)は俺たちにとって絶好の教材だな」
艦長が冗談めかして言い、艦橋のそこかしこで笑い声が上がる。
戦争が終わり、もう二か月近くが経っている。日本が受諾した降伏条件には「日本国軍隊は完全に武装を解除」するとあり、つまり陸海軍の解体が規定となっている。響の艦内でも、戦闘艦らしい張り詰めた緊張感はどこか和らいでいた。
解体が決まったからといって、帝国海軍の存在と任務が消えてなくなるわけではない。動ける艦艇は航路を塞ぐ機雷の除去、また外地に残る陸海軍将兵の復員に従事することとなった。
新潟港に繋がれたまま健在だった響は、復員に充てられた。艦種を駆逐艦から特別輸送艦に変え、終戦直後の復員で半減した乗組員をいくぶんか増員し、士官はほぼ全員が交代し、久方ぶりに重油を補給された。
ここで浦賀は、前と同じく通信士兼航海士として、再び響に配属となった。警備隊司令に感謝しながら荷物をまとめて乗艦した響は、浦賀もいくぶんか啓開に貢献した掃海済み航路を抜け、出航した。
響は舞鶴港に入って整備を受け、また艦体の両舷にはペンキで「HIBIKI」の字と日の丸が書き込まれた。国籍はともかく、戦闘艦の行動は秘匿(ひとく)が原則だった戦時において、艦名を大書するなど考えられないことだった。弾薬もここで全て陸揚げされた。本来なら行われるべき各砲と魚雷発射管の撤去は、後回しにされた。故障していた電探は、もはや使う必要がないため放置された。
次いで佐世保に立ち寄って食料品などを補給し、響は初の復員航海に出発した。目的地は中部太平洋、陸海軍あわせて五〇〇〇名以上の将兵が待つヤップ島となった。
佐世保を発って一路南下し、二日を経た昨日、響は暴風圏に入った。もとから見渡すかぎり何もない外海であり、空は分厚い雲が覆っている。艦位を測定する基準となる島影も天体も見えず、響は黙々と荒れた海を進んだ。今日は風雨が一段と強く、波も高くなっていた。
海に出てから、浦賀は充実した気分を覚えていた。
突然やってきた「敗戦」には、薄ぼんやりとしか印象を持てなかった。敗北を許容できないのではなく、「平和」という状態が理解できなかった。波や嵐、機関音を上げながら海をゆく老いた艦体のほうが、はるかに明瞭な輪郭を持っていた。
忙しい航海士の職務は、浦賀に生きる実感を与えてくれた。自分を海底までさらってしまうかもしれない嵐すら、抱きしめたくなるほど愛おしい現実だった。
「あしたには時化も、もうちょっとましになっているだろう」
荒天下での操艦に難儀する当直将校をさりげなく助けながら、艦長はのんびり言い、「浦賀」と続けた。
「俺は片付けねばならん書類仕事がある。航海長のところへ行って、メシを食い終わったら艦橋に上がるよう言ってくれ。艦内電話では、待たされている俺の嫌みが伝わらん」
艦長なりに、海軍軍人が徳目とするユーモアのセンスを発揮したらしい。浦賀は「はっ」と応じた。
士官室へ降りると、白い防暑衣の所どころを油で汚した機関科の特務少尉が、当直明けのくたびれた顔で乾パンをかじっていた。他には誰もいなかった。
「航海長はいま後部操舵所だ。そこの測距儀が波にやられたとかで、様子を見に行っている」
浦賀と階級こそ同じだが、一回りほど年嵩(としかさ)の特務少尉はそう言った。後部操舵所は甲板上にあり、暴風が吹きすさぶ中でおいそれと見に行ける場所ではない。艦長の嫌みは自分の胸にしまっておかねば、航海長を呼びに行った自分が波にさらわれたらずいぶん間抜けだから気をつけねば、などと思いながら、揺れる艦内を早足で進む。
兵用の厠(かわや)の前を通り過ぎてから、ふと振り返る。すれ違って厠を出てきた水兵の顔は真っ青だった。熟練の船乗りでも、久しぶりの遠洋航海となれば船酔いする者も少なくない。浦賀は思わず声をかける。
「大丈夫か」
「平気です」
水兵は弱々しい声で頼もしい答えを寄こしてから、袖で口元を拭った。
「ヤップじゃあ、みんな死にそうなくらい腹をすかしてるんでしょう。そいつらを迎えに行くってのに、俺はヘドを吐いちまいました。この上、弱音まで吐いちゃいられませんよ」
ヤップ島を含むパラオ地区は、補給が途絶したまま終戦を迎えた。現地の将兵は農耕や野草採集を駆使して、何とか一人一日あたり一五〇〇カロリーの食事を維持していたと聞いている。ただし過酷な軍務がない一般人が必要とする二〇〇〇カロリーすら下回っており、また風土病に対する医薬品はまったく欠乏している。餓死か病死へ向けての緩慢な前進は、日本が降伏した今なお続いている。
ああ、そうか。水兵の青くも頼もしい顔に、浦賀は気づかされた。
戦争は、まだ終わっていない。交戦国との戦闘状態が終結しただけだ。戦争のために生まれてきた世代である浦賀は、だからまだ自失することなく生きている。
戦争の終わりを、浦賀はまだ知らない。いまは終わりに向かっていることだけが、確かだ。いつ、どんな形で終わるのか。そんなことを浦賀は考えた。
〈つづく〉

 

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