同窓会以降、一部の人たちから「接着剤」と呼ばれるようになっていた…(写真:stock.adobe.com)
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「接着剤」の役目を終えて

私の性格について、若い頃から周りの人は「優しい」とか「おおらか」と言ってくれる。でも実際は、他人のことばかり気になり、マイペースのように見えて、実はいつも周囲に振り回されているのである。昨年参加した中学の古稀の同窓会をきっかけに、如実に感じるようになった。

古い友人に再会しても、その場限りの盛り上がりで終わるだろうと思っていたが、現実は違ったのだ。半世紀以上交流のなかった同級生や、名前も顔も覚えていないような人とも新しいつき合いが生まれ、交流が続いている。

もともと私は目立つタイプではなかったが、同窓会以降、一部の人たちから「接着剤」と呼ばれるようになっていた。その場で親しくなった人を別の友人に紹介しては、「仲良くしてあげてね」と、無意識のうちにお節介を焼いていたのである。

そこから話したこともなかった同級生同士が、趣味を共有したり、誰かのイベントに参加したりと、数珠繋ぎのように交流の輪が広がっていった。いろいろな人と連絡を取り合う自分は充実していると、そう思っていた時期もある。

しかし1年が過ぎた頃、自分がとても疲弊していることに気づいた。遠方に住む私は、みんなの集まりになかなか参加できず、メールでの交流ばかり。地元の友人たちから次々と届く楽しそうな集まりの様子をスマホの画面越しに見ては、蚊帳の外のような疎外感を抱くのだ。

年始に友人から「今年もリーダーシップを発揮してください」と記された年賀状が届いて、何とも言えない気持ちになった。15歳から70歳の現在に至るまで、私はリーダーシップなんて言葉とは無縁の世界を生きている。ただ、生真面目な性格とこまめな行動力はあると自負しており、人を繋ぎ合わせる「接着剤」のような役割ができていたのだろう。

しかし、自分にとって荷が重かったのも事実。他人を気にしすぎるあまり、眠れなくなる夜もあった。昨年は接着剤がはがれないよう必死だったが、古稀の私には必要ない気がする。

今年は静かに生きよう。いや、静かに生きたい。そう心に誓ったが、果たして……。今日も、本人は親しいつもりでいる同級生からの着信音が鳴り響いている。


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