五木寛之さん(左)とタブレット純さん(右)(撮影:大河内禎)
令和の今も、聴く人の心を揺さぶる昭和歌謡。作詞家としての顔を持つ五木寛之さんと、歌手であり昭和歌謡の研究家でもあるタブレット純さんの人生のそばにも、いつも歌謡曲があったといいます(構成:北村文代 撮影:大河内禎)

前編よりつづく

悲しい時代に沁みた音楽とは

タブレット 先日、映画『わが命の唄 艶歌(えんか)』を観まして、そのあとで原作となった先生の小説と『海峡物語』を読んで、すごく感動しました。

五木 何十年も前の作品ですけれど、原作とはかなり違ってた。(笑)

タブレット 読んでいる間、ずっと幸せでした。小説の主人公、高円寺竜三のモデルは、戦後日本の演歌・流行歌の世界を切り開いた日本コロムビアの馬渕玄三さんだと思うのですが、彼はあの時点ですでに「コンピューターでは歌は作れない」と考えているんですね。時代が変わっても、高円寺竜三みたいな人がいないと、心を揺さぶる歌は作れないなと感じます。

五木 当時のヒーローでしたね。昭和の歌謡曲は一過性ではなくて、なにか日本人の心情の根底にあるものにふれているところがあります。だからこそ、時を経ても、人々の心に働きかけるものがあるんでしょうね。それがなにかは、まだ自分のなかではっきりしていないんだけれど。

タブレット 最近、大阪の西成区にある酒場に行ってきました。そこでは、カセットテープでずっと八代亜紀さんの曲を流していたんです。日本酒を飲みながら、「やっぱり演歌が沁みるなあ」と泣くほどに感激しました。

五木 その感情は大切にしていったほうがいいと思いますね。今、昭和という言葉が、ちょっと軽薄に上滑りしている感じがするんですよ。若い編集者に、昭和歌謡っていつ頃の歌だと思う? と聞くと、「80年代の松田聖子ちゃんですかね」と。