タブレット 自分の世界観や感性を歌っていけたらいいなと思っています。歌手・田渕純として10年たった頃、ステージでいつも酔っている変なやつ、と浅草の演芸場に呼ばれました。「芸人・タブレット純」の名前でステージに乗って、初めて笑いが取れたとき、ありのままの自分が受け入れられたんだと感じて、すごく楽になったんです。
その頃からお酒の量が減っていきました。笑いは素晴らしいと思う一方で、やはり歌が好きというのが根底にあるので、しっかり歌っていきたいです。いつの間にかこちらの名前で芸能活動が続いていますが。(笑)
五木 あなたのジグザグに進んでいる人生には共感するところが多い。タブレットさんは、自分で詞を書いて曲を作って歌ったらいいと思うけど。さっき、「ともしび」の一節を歌ってくれたけど、太く朗々とした音質を聞いて、思わずロシアの大地を流れる大河の光景が浮かんできた。
タブレット ありがとうございます。ぼくも表現者として、作り手の感性が聴き手に伝わる歌を歌いたいです。聴いている人が夢を見ているような……。それこそ「艶歌」の高円寺竜三がさみしい海辺の町に行って、海鳴りを聞いている光景を聴き手が思い浮かべるような歌を。
五木 それこそ現代の演歌じゃないのかな。昭和歌謡から連綿と流れてきた日本人の心情を、令和になってタブレットさんが蘇らせる。面白い。
こうしてじっくりタブレットさんと話していると、いろいろな歌のエキスを体の中にとりこんで、血とし、肉として。今のあなたを作ってきたのだなあと思います。
タブレット 歌がなければ、生きてこられなかった。歌は命の恩人だ、と語る先生の言葉に、ぼくも感激しました。
五木 思い出すのはある民俗学者の言葉です。「最初に言葉があったと言われるけれど、最初にあったのは身振りと踊りであり、それから歌が生まれ、最後に言葉ができた」と。
最近は言葉だけで考えるから、なにかとバランスが崩れる。僕なんか今でも、ラジオの仕事などで歌にふれる機会があるから、90歳過ぎても元気で生きていられるんじゃないのかな。これからもフリーキッシュな表現者としてがんばってください。
タブレット マヒナスターズの和田弘さんには、「音程ばかりを意識するのではなくて、風が吹くように歌って」と教わりました。これからも音楽を、もっと勉強したいと思っています。ありがとうございました。

