津波被害の甚大さを物語る大川小の校舎を裏山から撮影。ここに避難していれば全員助かったのでは、と言われている(撮影:塩坂佳子)
2万人近くの犠牲者を出した東日本大震災。なかでも震源地に近く、最大被災地となった宮城県石巻市では、行方不明者を含む約3600人が犠牲となった。石巻に移住して11年目を迎えるライターが、震災で子どもを亡くした母親たちの声を伝える

前編よりつづく

子どもが亡くなったのは自分たちのせい

私が石巻に移り住んだのは2015年。人々とともに街の復興のため働きたいと思っていた。しかし近年は、立ち止まることも多い。「復興」って、何だっけ? 地震や台風などの災害は、その後も容赦なく襲ってきた。人口流出は止まらず、コロナ禍でとどめを刺された店や企業も少なくない。道路や橋は整備され、街はきれいになったが、「入居者募集」の紙が貼りだされる空きビルばかりだ。

結局、何も変わらないし、何の役にも立てなかった……。

無力感にさいなまれた頃、中里家と再会し、自分の中の何かがまた、動き出すのを感じた。

そして石巻にはもうひとり、私を原点に引き戻してくれる人がいる。津波で3人の子どもを亡くした遠藤さんだ。

東京都出身の綾子さんは26歳で結婚。3人の子どもに恵まれ、04年に夫の故郷、石巻へ一家で移り住んだ。震災が起きたのはその7年後だ。