(左)高野利実 (右)養老孟司
(撮影:大河内 禎/写真提供:ビジネス社)
2024年に小細胞肺がんを患った、解剖学者の養老孟司先生。2025年3月に再発がんが見つかり、現在も治療を続けています。そんな養老先生と、東大時代の教え子であり医師となった高野利実先生が、約30年ぶりに再会しました。そこで今回は、養老先生と髙野先生が東大時代の思い出やがんとの向き合い方などを語り合った『“幸せ”よりも “居心地”のよい生き方』より一部を抜粋し、お二人の考える「居心地のよい生き方」を対談形式でお届けします。

上手な年の取り方とは

高野 東大で先生に教わってから、僕も医者として30年近くやってきました。その間、医療はかなり進歩しました。でも、それで人が本当に幸せになったのかというと、そうとも言い切れないように思っています。先生はどう思われますか。

養老 楽にはなったんじゃないですか。結核にしても、昔は本当に打つ手がなかったからね。そういう意味では楽になった。母も医師でしたが、限定された条件の中に置かれて、何もないというのは大変ですよね。打つ手がないというもどかしさは、昔のほうがはるかにキツかったと思いますよ。

親父は昭和17年に結核で亡くなったけれど、当時の言葉で「粟粒結核」、つまり結核性敗血症です。喉頭結核を併発して声が出なくて、枕元に子どものガラガラが置いてあって、「これを鳴らすと看護婦さんが来てくれる」って教えてもらいました。あれが5、6年あとだったら、戦争も終わって化学療法ができていたので、ストレプトマイシンくらいはあったと思います。ほんの少し時代が違えば、親父も助かった可能性はあったんですよ。そういうことを考えると、やはり医療は進歩したんですね。

高野 昔はがんの患者さんが受けられる医療にも限りがあったと思いますが、ある程度、諦めもついて、今よりも満足して最期を迎えられた方が多かったのじゃないかという気もするんです。今は医療がどんどん進歩しているので、逆に、「今ここ」で受けられる医療では満足できず、もっといい治療を求めて、もっと上、もっと上をと目指してしまう人が多いんです。どうすれば居心地よく医療を受けられるのでしょう。

養老 基準なんて決めないほうがいいんですよ。絶えず動いてるんだから、ダイナミックに考えたほうがいい。自分自身の考え方だって変わりますからね。僕もこういう状況で、昨日も同級生に電話して、「最近、食欲がないんだよ」なんてこぼしたら、「お前はまだ歩けるからいいよ」と言われました。そういうもんですよ。だから絶えず基準を変えてね、「まだ歩けるからいいじゃないか」って思うんです。