北海道発の人気バラエティ『水曜どうでしょう』が、2026年で30周年を迎えます。番組のカメラ担当ディレクターを30年間担当してきた「うれしー」こと嬉野雅道さんは、2026年で67歳に。「お陰で私の人生も『水曜どうでしょう』とともにハッピーでした」と振り返ります。そこで今回は、嬉野さんの連載を書籍化した『だから僕らは出会わなければならないのです。』より一部を抜粋して、30年の歩みを振り返るエッセイをお届けします。
運命の悪戯
30年前、縁あって勤務することになったHTBというこの札幌のテレビ局で、私はたまたま、やりたいことのたくさんある、藤村忠寿という髭のディレクターと2人で『水曜どうでしょう』というバラエティ番組を始めたのです。
彼はあのときまだ30歳そこそこ。東京支社から札幌本社の制作部に異動したばかりで番組制作の経験も浅く、まだ1年足らずとのことでしたが、私は、彼が作りだす可笑しみに「本物」を感じました。
「しかし、この男の尋常じゃないセンスにこの会社の人たちは気づいているのだろうか。というか、彼本人が自分の能力に気づいているのだろうか」と、私は一人で、掃き溜めに鶴を発見した気でおりましたら運命の悪戯というやつでしょうか、そんな彼が初めてチーフディレクターをやる新番組に「サポートで入るべし」という人事を制作部長から拝命したのです。
「これは良い男と組ませてもらった」と、私は上機嫌だったのですが、チーフディレクターのあの男は開口一番、「あのさぁ、アン・ルイスさんの新曲のプロモーションで東京まで取材に行ったら出張旅費をレコード会社で全額持ってくれるっていうから、とりあえずその金を元手にタレント2人と3人でロケしてくるから」と言うわけです。