中学校卒業後の学生を対象とした5年制の高等教育機関「高等専門学校(高専)」。文部科学省の「令和7年度 学校基本調査」によると、高専の学生数は約5万6000人で、前年度とほぼ横ばいだったそうです。どのような学校なのかイメージしにくいという方もいらっしゃるかもしれませんが、龍谷大学文学部准教授・手嶋泰伸先生は「工学系技術者の世界では高専の存在感が大きく、高専が輩出する技術者は日本の産業界と社会を支えている」と語ります。そこで今回は、手嶋先生の著書『高専―戦後日本のエンジニア養成』より一部を抜粋し、高専の知られざる歴史に迫ります。
恵まれた就職事情
1962年に高専に入学した学生が5年生となり就職活動に挑むのが66年である。
1965〜66年、オリンピック景気といざなぎ景気のはざまであるこの時期、企業は採用を手控えていた。1965年の第一四半期から66年の第二四半期まで、新規求人倍率は1倍を切っている。
だが、高専一期生に対する求人は例外だった。各企業の高専生採用に対する意欲は旺盛で、国立高専各校の学科別で、5〜6倍の求人があった。
例えば、沼津高専では、6月1日から求人の受付を始め、7月後半には既に電気工学科の9割、機械工学科の8割が内定を得ていた。求人を出していた企業には、日立製作所、東芝、東京電力、国鉄(現JR)などの大手企業が名を連ねている(『朝日新聞』1966年7月25日)。