泣きたきゃお泣きよ麻央
12月9日夜、私の携帯が鳴った。
「パパが亡くなったらしい」
妹からの電話だった。2003年に脳梗塞で倒れた父は、残された機能を衰えさせないようリハビリを続けながら、母から13年間の献身的な介護を受けてきた。
大好きな両切りピースもウィスキーも断って、三度の食事と規則的な睡眠、むしろ以前より肌艶が良いくらい。
それがこのところ、目に見えて身体が弱ってきていたのが分かった。どこが悪いというわけじゃなく、少しずつ灯が消えていく。
危ない、と告げられた時も乗り越えて、心の準備は出来ていたはずなのに、どうしても信じられない。本当に逝ってしまったの?
取るものもとりあえず一人で車に乗り、高速に入って運ばれたという病院を目指す。
ナビに従って運転したつもりだったが、どうやら出口を間違えた。気が付くと、向かうべきは新宿なのに五反田にいた。混乱した私はそれから1時間、夜の東京で道に迷っていたらしい。
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
悲しい涙 怖い涙
涙の一つ一つを
パパが拾ってあげるから
星のみえない空もある
花の咲かない庭もある
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでも麻央は 麻央なのさ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
さびしい夢や つらい夢
その夢の一つ一つを
パパが食べてあげるから
一人ぼっちの道を行き
冷たい森に まよいこみ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでも麻央は 麻央なのさ
泣きたきゃ お泣きよ 麻央
いつでもパパが みてるから
涙の一つ一つで
パパより大きく なるんだよ
生まれたばかりの私のために父が作ってくれた「プレイボーイの子守唄」。幼くして死んでしまった二人の妹への鎮魂歌の意味もあるという。
ええかっこしいの父は、私が誕生した夜、わざわざダークスーツに着替えに戻り、花束を抱えて逢いに来た。
スヤスヤ眠る私の顔に手をかざして、「大丈夫、息をしている」と一日中ベッドのそばを離れない。かつて少年の日、腕の中で妹を亡くした記憶からか、いつ死んでしまうかと常におびえ、何でもしてやろうと、はっきりいえば贖罪の心で育てている、とも書いている。