
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!
二
呉掃海隊には、母船ゆうちどりと掃海艇一〇隻が所属している。
一〇月二日、指揮官代理の浦賀新吉は、ゆうちどりの船上にあった。掃海艇四隻を率いて大阪湾の磁気掃海を開始した初日だった。その日の掃海を終えると各艇から海図を集めて整理し、翌日の予定を通知し、遅い夕食を摂りながら航海日誌に目を通し、狭い寝台に身体を押し込んだのは、翌日の午前〇時を少し回ったころだった。
「指揮官代理、電報です」
電信員の声に叩き起こされた。枕元のスイッチをひねって明かりをつけると、まず小さな時計が視界に浮かび上がった。針は午前二時三〇分あたりを指していた。
兵学校教育のたまもので、浦賀はいつ叩き起こされても、しゃっきり目が覚める。ただ、今日は体が少し重かった。
「ありがとう」
と言って浦賀は電報用紙を受け取る。第六管区の航路啓開部長、また呉掃海隊の指揮官が宛先となっていた。発信元は東京の航路啓開本部長だった。
――朝鮮海域での掃海のため、呉掃海隊は現在の掃海任務を中止し、所属の全掃海艇をただちに下関へ回航すべし。
浦賀は首をひねりかけ、命令の真意を推理していられるほど悠長な事態ではないと思い直し、立ち上がった。海上警察や救難に携わる部門ならともかく、事前の計画に基づいて黙々と掃海業務を行う掃海隊で、「ただちに」という指示は珍しい。
「この電報を各艇に転送せよ。また各艇、ただちに航海準備をなせ。出港予定時刻は午前四時(マルヨンマルマル)。水と食料の残量も報告せよ」
命じながら、浦賀はそばの壁に掛けてあった衣服のハンガーを手に取った。電信員は「はいっ」と元気よく返事をして飛び出していった。
しかし、とシャツのボタンを留めながら浦賀は考える。
受領した命令は、命令と呼ぶにはあまりに不明瞭だった。下関に来いと言うだけで、具体的な掃海域も、どの種の機雷があるのかも示されていない。
浮流機雷、という語が浮かんだ。位置を固定するワイヤーが切れ、海面をただよう係維機雷が増えている。もともとは旧日本海軍が設置し、主要航路外として放置されたり、掃海できない深深度にあったものが多い。昨今では、大陸から流れ着いたソ連製の機雷も加わっている。ただしどちらにせよ、急いで掃海艇をかき集めるほどの量が一気に流れ着くとは考えにくい。
また「朝鮮海域での掃海」という言葉も気になる。朝鮮半島はいま、戦時である。交戦国ではなく、憲法で戦争を放棄した日本の掃海隊に何の用があるのか。
考えてもらちが明かない。浦賀は首を横に振り、制帽をかぶって狭い階段を駆け上がる。
各計器の盤面を照らす小さな明かりのほか、ブリッジは真っ暗だった。一人だけいた当直員の気配に「ご苦労」と声をかけ、浦賀は闇に立つ。
艇長以下の要員が次々にブリッジに上がってくる。航海員が海図台の明かりをともし、海図を広げる。足元からは機関の鈍い音と振動が上がってくる。甲板では船員が各所に散って見張りの位置に立つ。各艇からも、まず水と食料の備蓄状況が早々に知らされてきた。
わが隊の練度は高い。浦賀は満足する。
「全艇、出港準備よし」
通信員の声にも、眠気ではなく勇ましい張りが感じられた。
先に寄越された報告によれば、各艇は二日分の水と食料がある。下関までは問題なかろうが、あらゆる事態に即応するためには、積めるだけ積んでいたほうがよい。
「まず神戸で補給を行う。終了した艇から各自、下関へ向かえ」
浦賀はそう命じた。予定より五分早い午前三時五五分、岸和田沖の呉掃海隊は錨を上げる。未明の海は、墨を流したように真っ暗だった。
〈つづく〉
