できなくなったことはたくさんある。「ありのままの自分」を受け入れて、今できることを──(西城さん)
互いに父親、母親となって
秀樹 久しぶり。こうして会って話をするのは……。
昌子 25年ぶり、くらいですね。
秀樹 そんなに? 名前を呼ぶのに「昌子さん」でなきゃいけないよな、なんて思っていたけど、会って顔を見ると、やっぱり昔のように「昌子ちゃん」と呼びたくなる。
昌子 嬉しい。私も「西城さん」じゃなくて、「秀樹さん」ですもの。
秀樹 時間が一気に縮まるね。デビューは僕が1972年の3月。
昌子 私は同じ年の7月です。
秀樹 僕と郷ひろみくん、野口五郎くんが「新御三家」と呼ばれて。
昌子 私と山口百恵ちゃん、桜田淳子ちゃんが「花の中3トリオ」。当時は生放送の歌番組が多くて、しょっちゅうご一緒していました。
秀樹 『明星』や『平凡』の表紙やグラビアの撮影なんかもね。
昌子 「新御三家」と「中3トリオ」が3対3で並んで撮られたり。あの頃、13歳の私にとって、ワイルドな17歳の秀樹さんはとても大人っぽく見えたんですよ。
秀樹 今朝、カミさんに昌子ちゃんや僕らのデビューの頃の話をしたら、「私、生まれてないかもしれない」と言われてガクッ。(笑)
昌子 奥さま、お若いんですよね。
秀樹 17歳下なんです。
昌子 秀樹さん、独身が長かったから、そのまま結婚しないんじゃないかと思っていました。
秀樹 結婚願望はなかった。カミさんは公共事業を請け負う会社で下水道の設計を担当しててね。芸能界のことはぜんぜん知らない。そんな「普通の価値観」に惹かれたのかな。で、46歳で結婚……。そういえば、25、26歳のとき、今は亡き父親に、「おまえ、結婚しないのか。私は森昌子ちゃんがいいと思う」と言われたことがあってね。
昌子 わぁ、初めて聞きました。
秀樹 父親がその次に言ったのが、「水前寺清子さんもいいなあ」。(笑)