作家でありながら「対談の名手」とも言われる五木寛之さんは、数十年の間に才能豊かな女性たちに巡り合ってきました。その一期一会の中から、彼女たちの仕事や業績ではない、語られなかった一面を綴ります。第一回は太地喜和子さんです。
彼女の死を驚かなかった
太地喜和子が不慮の死をとげてから、どれくらいの時間が過ぎただろう。
太地喜和子は車ごと海に落ち、一人だけ車中で死んだ。そのニュースを聞いたとき、なぜか私は驚かなかった。
私は太地喜和子という女優のことを、ほとんど知らない。個人的なことだけでなく、俳優としての仕事のことも知らない。私は太地喜和子の舞台を一度も見たことがなかったのだ。
彼女もまた私の本など一冊も読んでいないだろうと思う。いろいろある太地喜和子論を読んでみると、まるで女優の仕事を抜きにして彼女の存在はないかのようだ。
人間とはそういうものではあるまい。テニスをやらなくなったら大坂なおみは存在しなくなるのか。
太地喜和子が女優をやるのだ。女優が太地喜和子を存在させているのではない。
太地喜和子マイナス女優、イコール、ゼロか? そうではないだろう。私は女優という仕事を抜いた後に残る人間に関心があったのだった。
役者は舞台の上でだけ生きるのだ、素顔の人間なんて役者じゃない、と言う人がいる。そうかも知れない。だとすると、私は本当の太地喜和子の姿を知らない。しかし女優としての太地喜和子を知らない分だけ、生身の、というか、素顔の太地喜和子の姿をかいま見た気がしないでもないのである。