「自分は何歳まで生きられるのか、といくら考えても仕方ないのです。天にお任せして、お迎えがきたときには、『はい、さようなら』とこの世を旅立つのが自然なこと」(撮影:川上輝明)
寿命が延びたことは喜ばしいけれど、それにともなって新たに生まれてくるさまざまな悩みーー。1300年で2人しか達成していない荒業「大峯千日回峰行」を満行した塩沼亮潤大阿闍梨が教える欲への対処法、ままならない問題にふりまわされないための心構えとは(構成=村瀬素子 撮影=川上輝明)

苦しみが魂を成長させる

私は19歳で奈良の金峯山寺(きんぷせんじ)にて出家し、23歳のとき、1300年間で一人しか達成していないという「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」に挑みました。この荒行は、片道24キロの険しい山道を16時間かけて1日で往復します。これを1000日間行うのですが、途中でやめることは許されません。

強風や大雨に打ちつけられ、体がボロボロになっても、高熱や血尿が出ても翌日また山に向かう。山道を何度も転げ落ちて意識が朦朧としたことや、熊と鉢合わせしたこともあります。生死の境をさまようほどの修行を9年がかりで満行しました。そこから得た悟りをみなさんにお伝えするのが、私の役割の1つと思っています。

山の中の厳しい苦行のみが修行ではありません。私はその後、いくつかの荒行を行じて、地元仙台に戻り、慈眼寺(じげんじ)を建てました。住職として活動するなかで、世間で日々生活していくことこそまさに修行だと感じています。

人が生きていくうえで避けられない悩みや苦しみは太古の昔からあり、尽きることはありません。悩みというのは、心がとらわれている状態です。仏教では、人がとらわれてしまうこうした苦しみは、根源的な「生老病死(しょうろうびょうし)」に加えて、4つあると説いています。

欲しいものが手に入らない「求不得苦(ぐふとくく)」、愛するものと別れる「愛別離苦(あいべつりく)」、嫌な人と会ってしまう「怨憎会苦(おんぞうえく)」、思い通りにならない「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」という苦しみです。実はこれらは、私たちに気づきを与えて、魂を成長させるものでもあるのです。