見守れる幸せと重さ
介護・医療・保健・福祉などの側面から高齢者を支える「総合相談窓口」である、地域包括支援センター。あらかじめ電話で予約をした上で、相談に行くようになっているので、私は父を誘ってみた。
「パパ、来月で92歳でしょ。介護が必要になる日がくるかもしれないから、一度一緒に行ってみようよ」
「俺は健康だ。介護なんて必要ない」
想像していた通りの反応ではある。健康に自信がありすぎる父に、私はげんなりしてしまった。
「じゃあ、私一人で行ってくるからね。いざという時、介護サービスの利用の仕方を知らないと困るでしょ」
「勝手にしろ! 俺は行かない」
不毛の会話を続けても仕方がない。2020年の6月に予約を取って伺った地域包括支援センターは、ひっきりなしに電話が鳴っていた。コロナ禍で、デイケアサービスに通所できなくなり、入浴等で不自由している人がたくさんいるのだろう。体調を崩しても病院は受け入れてくれないため、同センターに電話をする人も多いに違いない。
「お忙しいところ、すみません。本人が来たくないと言うので、今日のところは私一人で参りました。父が今後、支援サービスが必要になってくると思いますので、現状を一度聞き取っておいていただきたくて」
担当の方は、家族構成や父の病歴、対人関係や健康状態、四肢の運動機能などを細かく私に質問する。この数年で、徐々に思考回路が壊れてしまっているように見える父のことを、他人に聞いてもらうのは初めてだった。
堰を切ったように父の言動の変化を話し続けた私は、つきものが落ちたように落ち着きを取り戻すことができた。
「枯れるのではなく、壊れていっているっていう感じです。なんだか悲しくて… …もちろん、父はまったく自覚していないですけどね」
最後にそう話した私を励ますように、担当者は言ってくれた。
「変化に気付いてくれる娘さんがいて、お父さんは幸せですよ。一人暮らしの高齢者が多くて、孤独死される方もいらっしゃるので」
包括支援センターが関わったことのある方で、そういう最後を迎えた方がいるのだと思うと、胸に迫るものがある。担当者の言葉通り、「親を見守れることは幸せ」と捉えられる自分に戻りたいと思った。しかし同時に、そう思わなければならないことを、ひどく重荷に感じていた。