小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る武士たちの駆け引きが描かれ、人気を博しているNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(総合、日曜午後8時ほか)。その脚本を手掛けているのが三谷幸喜さんだ。一方、社会学者で、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動をする太田省一さんは「三谷さんには放送作家を務めていた時期があり、そこで開花したテレビっ子気質が、今のドラマや映画作品に大きく影響している」と言いますが――。
三谷幸喜が放送作家だったころ
あまりそういうイメージはないかもしれないが、三谷幸喜にも放送作家だった時期がある。その流れのなかで、1980年代後半に彼は、テレビドラマの脚本家として頭角を現すことになる。
1961年生まれで東京都世田谷区出身の三谷は、日本大学芸術学部演劇学科にまだ在学中の1983年に、劇団「東京サンシャインボーイズ」を立ち上げた。そして劇団を主宰するかたわら、萩本欽一の『欽ドン』シリーズ(フジテレビ系、1975年放送開始)などバラエティ番組の放送作家として活動していた。
『欽ドン』は、視聴者からの投稿ハガキをもとに萩本ら出演者がコントを演じる番組だったが、そのハガキを選ぶ仕事を三谷はやっていたという(フジテレビ『中居のかけ算』2012年1月4日放送)。
一方、脚本で参加した番組もあった。あの国民的アニメ『サザエさん』(フジテレビ系、1969年放送開始)である。
1985年に、三谷は4作分の脚本を執筆した。そのなかの「タラちゃん成長期」というタイトルの回で、タラちゃんが筋肉増強剤を使ってオリンピックに出場するという場面を三谷は入れた。
夢の中という設定ではあったが、やはりと言うべきか、プロデューサーの怒りを買ってこの回はお蔵入りに。それ以降、『サザエさん』からのオファーはなかった。