80年代のアイドルを語る際に欠かせない存在が、小泉今日子さんや早見優さん、松本伊代さんら「花の82年組」です。その中でもただ1人、1年目からいきなり売れ、オリコン1位を取った大スターが中森明菜さんだと、メディアプランナーでエンタテインメント企画集団「指南役」の代表・草場滋さんは言います。そしてデビュー早々にスターとなった要因に、セカンドシングル『少女A』のヒットがありますが、草場さんいわく、明菜さんは「最後まで歌いたくないと抵抗した」そうで――。
花の82年組
「花の82年組」がいる。
1982年にデビューしたアイドル黄金世代である。中森明菜を筆頭に、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、三田寛子――確かに粒ぞろいだ。80年代のアイドルシーンを語る時、彼女たちの存在は外せない。
しかし、である。改めて振り返ると、82年当時、アイドル界は松田聖子サンが3年目を迎え、髪型を聖子ちゃんカットからショートに変えた年。1月にリリースされた『赤いスイートピー』からユーミン(呉田軽穂)が作家陣に加わり、『渚のバルコニー』に『小麦色のマーメイド』と、まだまだ聖子全盛期だったと記憶する。
その他の印象では、81年暮れに公開された映画『セーラー服と機関銃』と同名主題歌の大ヒットで、薬師丸ひろ子ブームが到来。だが、当の本人は大学受験で休業宣言してしまい、82年――飢餓感から、さらにブームに拍車がかかる事態に。
ちなみに、その穴を埋めるべく同年、角川映画が行ったオーディションで特別賞を受賞したのが、原田知世サンである。