源頼朝の前に集う北条時政・義時、和田義盛、畠山重忠ら有力御家人たち。彼らをめぐる物語もいよいよ完結を迎えようとしている(『大日本歴史錦繪』国立国会図書館デジタルコレクション
小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る武士たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(総合、日曜午後8時ほか)。同ドラマも12月18日でいよいよ最終回を迎える。一方、源平の争いから鎌倉幕府誕生まで、その行方を左右した「合戦」を中心に、歴史をひもとく本連載。最終回となる今回は、対立を深めた鎌倉幕府と朝廷がいよいよ激突した「承久の乱」について。

頼朝の死から13人の合議制へ

建久(けんきゅう)十(1199)年一月、源頼朝の急死により、18歳の頼家(よりいえ)が鎌倉殿になると、幕府草創に貢献した御家人の発言力が高まっていく。

3カ月後、頼家は訴訟の裁決を行うことを禁じられ、有力御家人による「十三人の合議制」で意思決定が行われることとなった。

さらに、頼家の側近・梶原景時(かじわらかげとき)、舅(しゅうと)・比企能員(ひきよしかず)が北条時政の策謀により滅ぼされ、頼家も修善寺に幽閉後、暗殺される。

時政は自身が養育していた頼家の弟・実朝(さねとも)を将軍につけ、幕府の最高実力者である執権に就任する。しかし、元久(げんきゅう)二(1205)年、娘婿の平賀朝雅(ひらがともまさ)を将軍に擁立しようとした疑いを受け、北条政子とその弟・義時によって伊豆に隠退させられた。

執権職と北条氏当主の地位をねらった義時の謀略であったともいわれる。