(写真提供◎写真AC)
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第22回は「自覚することの難しさについて」です。

自分の置かれた状況を客観的に把握することは難しい

貧困など、あらゆる困難な状況にある人が、自分の置かれた状況を客観的に把握することはとても難しい。私自身、大学に入って初めて、自分が非課税世帯出身の超マイノリティーだと知った。

もちろん幼少期から、周囲と”何かが違う”と思うことは少なくなかった。

でも、社会全体で見て、自分がどのくらいの位置にいるのか?そもそも社会の平均ってどのくらいなのか?「一般的な」「普通」がさす範囲はどのくらいなのか。

それって、結構知るのって難しくない?と思うのだ。

大変なんだったら、助けを求めればいい。
××や××とか、いろんな支援があるんだから繋がればいい。

そういう人もいる。
でも、この社会って、「自助」がデフォルトな気がする。
菅前首相は、2020年9月14日の決意表明で
「自助、共助、公助、そして絆」 

「まずは、自分でできることは自分でやってみる。そして、地域や家族で助け合う。その上で、政府がセーフティーネットで守る」
と発言した。

”絆”なんてゆるふわな言葉を並べているけれど、結局自分でどうにかしろと言っているだけじゃないか。
と、今なら思う。

でも、「自分のことは自分でどうにかする」という必要以上の圧力は、社会全体にある。

「人様に迷惑をかけてはいけない」そう刷り込まれていた。
どこまでいったら、助けを求めるレベルなのか?
それが私にはわからなかった。