(構成◎内山靖子 撮影◎本社 奥西義和)
小5のときから、人生が大荒れに
僕はADHDの特徴と言われる多動性・衝動性をふんだんに持っています。ADHDの人が起こしやすいと言われる対人関係のトラブルや、社会の中での生きづらさも数えきれないほど経験してきて、先日対談した精神科医の岩波明先生には、ADHDと診断していただきました。
47歳になった今でも、電車に荷物を置き忘れるのはしょっちゅうだし、仕事のスケジュールも頭からすぐに抜けてしまう。毎日、信じられないようなミスの連続なんですよ。
とはいえ、そんな僕も幼稚園の頃は、クラスの人気者。めちゃくちゃ明るい性格でみんなを笑わせていたので、僕の周りにはいつも男の子たちが集まってにぎやかでした。大人と違い、小さい子どもは本能のままに行動するでしょう。
だから、自由奔放にふるまう僕も周囲に溶け込めていたのだと思います。小学校に入ってからは、先生に注意されることが増えてきたものの、4年生のときまでは、それほどクラスから浮くこともありませんでした。
ところが、小学校5年生になったとき、突然、人生に暗雲が立ち込めた。そのくらいの年齢になると、男の子も女の子も一気に大人びてきますよね。先生も生徒たちの一挙一動に目を光らせるようになり、規則も一段と厳しくなって。でも、僕は、その規則に従って行動することがまったくできない。おかげで、何をやっても怒られるようになり、男の先生から思いっきりビンタされたこともありました。
おまけに、「空気の読めない」僕は、どこのグループにも入れなかった。中学で野球部に入っていたときは、他の子たちから3年間、集団無視をくらいました。声をかけても、いっさい返事をしてくれない。学校に行くことが嫌になったときもありましたが、親もバタバタしていたので、じっくり話すこともあまりなくて。寂しかったけど、だからといって、どうすればいいのかもわからずに、ただ落ち込むことしかできませんでした。