「当時はまだ結婚前だったのですが、そんな僕の勢いに押されて、妻も、毎日、会社が終わった後に手伝いに来てくれました」

初めて会ったときから、光って見えた妻

そんな両親の影響はもちろんのこと、今日、僕が自分の好きな仕事をしてポジティブに生きていられるのは、28歳のときに結婚した妻の存在が何より大きいのは確かです。妻は、大学卒業後に入社したNTTの同期の1人。

不思議なことに、大勢の新入社員が研修している中で、なぜか彼女だけが光って見えたんです。そのときはまだ名前も知らなかったその人と、たまたま一緒の部署に配属されることになり、そこからおつきあいが始まりました。

妻は普通のサラリーマンと結婚するのが夢だったようで、僕がNTTを辞めて書道で起業すると言ったときはとても驚いていました。でも、当時の僕は人生で初めて自分のやりたいことを見つけて、大興奮中(笑)。

「これからは絶対に書道が来る! 筆文字で書いた名刺をインターネットで売れば、ビッグビジネスになる!」と、それまで25年間、自分の中で眠っていたマグマが大噴火したような状態で、妻も止めようにも止めるヒマがなかったとか。

この時、母親にも反対されました。書道の厳しさを知っていたからでしょうね。わざわざ東京の独身寮まで来てくれたのですが、僕のあまりの熱意に負けて何も言えなかったらしく、観光してそのまま熊本に帰ってしまいました。(笑)

当時はまだ結婚前だったのですが、そんな僕の勢いに押されて、妻も、毎日、会社が終わった後に手伝いに来てくれました。この時は、母が書いた毛筆の名刺を販売していた頃で、大きな紙に印刷された名刺を押し切り式のペーパーカッターで、夜中の2時までガチャンガチャンと切ったり、受注や発送のメールのやりとりも手伝ってくれて。今思えば、本当にありがたいことなのに、当時の僕は自分の夢のことだけで頭がいっぱいで、彼女の気持ちをまったく思いやることができなかった。

あるとき、夜中まで名刺を切っていた妻が「辛い…、これっていつまで続くの?」って、いきなり泣き出したんですよ。なのに、僕ときたら「泣いている場合じゃないよ。これからすごいことが起きるんだから!」って、彼女の辛さを理解するどころか、自分の夢を滔々と語ってしまった。

小さな子が新しいオモチャに夢中になるように、ひとたび何かに夢中になると自分の周りのことがまったく見えなくなってしまうのが、ADHDの人間が抱えている問題点なのかもしれません。