松本潤さん演じる徳川家康がいかに戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのかを古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第17回では、信玄(阿部寛さん)に拠点を次々に制圧された家康は、信長(岡田准一さん)の本軍が加勢にくるまで浜松城に籠城することを決める。しかし浜松に攻め寄せてきた武田本軍は、浜松城を素通りしてしまい――といった話が展開しました。
一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第36回は「武田信玄の真の狙い」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
武田信玄の軍事行動の目的とは何だったのか
いよいよ三方ヶ原で家康と武田信玄がぶつかりました。
ドラマでも信玄が何らかの病におかされている様子が描かれていますが、かつては結核と言われていたその死因も、いまは胃ガン説が有力なようです。
からだの不調から死期が迫っていることを覚悟した信玄が、領民に重い臨時の税を課してまで、総力を挙げた戦いを仕掛けた。それが「信玄最期の西上作戦」と呼ばれるものだった、とぼくは理解しています。
では、その作戦の目的は何だったのか?
ぼくはそもそも「信長包囲網」なる机上の空論は信用していません。
だいたい、戦国大名とは何だったか。永原慶二先生(故人。一橋大学名誉教授)が「大名国家」という概念を提唱されたように、戦国大名は「自己の責任で、自国の領土を守る者」であったはず。
つまり、室町幕府体制にはとっくに見切りを付けている。政治・文化については京都に魅力を感じていません。
そんな中で、織田信長は経済の中枢である京都を自己の領地に組み込むことにより、勢力の拡大を図った。それは信長が考えた新しい方法論であって、戦国大名の共通認識ではないのです。