「芝居っていうと、立派な劇場でただ黙って観るだけじゃなくて、ゴザの上で食べたり飲んだりして、ウワァーッとか言いながら観る雰囲気が何度も僕の頭の中をよぎるんだよね」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第18回は俳優の串田和美さん。幼い頃疎開先で見た、地歌舞伎の風景が脳に刷り込まれている、と話す串田さん。父親の影響で始めた登山の経験が、後々の苦境での踏ん張りにつながったそうで――(撮影:岡本隆史)

疎開中に観た村芝居

東京は六本木のガラス店の地下にあった、文字通りアンダーグラウンドの自由劇場を主宰する「串田和美」は、私の遅い青春の象徴だった。

ギューギュー詰めで酸欠一歩手前の客席で観た『上海バンスキング』や『もっと泣いてよ、フラッパー』は、今思い出そうとすると夢、幻のようにも思えてくる。

でも、つい最近、串田さんはその六本木の地下劇場で、まるで本卦還りのようにして独り芝居『月夜のファウスト』を上演し、あれが決して夢ではなかったことを証明してくれた。

――六本木のあの地下劇場最後の日に、僕は黒い壁に白いチョークで「1966~1996」と書いて別れたんだけど、その後いろいろに改装されて。事務所とかレストランとかになったりしてるうちに、ある日ミュージシャンみたいな人が来て、「ちょっとここ、何かクリエイティブな感じが漂ってるけど、前は何だったんですか?」って。鳥肌の立つ話だよね。それでライブハウスに生まれ変わったそうなんだけど。

劇場っていうのは、ローマ時代にもなれば未来にもなり、平安時代にもなる。そこに出る者は傷ついてもうやめようと思ったり、嬉しくなって幸せだと思ったり。俳優という変な生き物の経験が作り出した空気とか匂いが、いつまでも消えないで、気配として漂っているんだね。

そう思ったらすごく嬉しくなって、原点に立ち返ってこのライブハウスで独り芝居をやろう、ということになったわけです。