松本潤さん演じる徳川家康がいかに戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのかを古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第32回では、家康と秀吉の探り合いが続く中、康政(杉野遥亮さん)は秀吉の悪口を書き連ねた立札をばらまき、城の周辺に堀を作る。池田恒興(徳重聡さん)は家康を引っ張り出すため、岡崎城を攻撃する策を秀吉に献上し――といった話が展開しました。
一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第50回は「森長可の奇妙な遺言状」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
“鬼武蔵”森長可の遺言状
戦国時代に興味をもつ研究者ならば一度は見たことがあるという、きわめて奇妙な「遺言状」が存在します。それは天正12年(1584年)3月26日の日付が記されている、森武蔵守長可の文書です。
長可はこのとき27歳で美濃金山(兼山とも)城主。石高でいうと、10万石くらい。羽柴秀吉に属していた中堅武将です。
苛烈に戦う猛将との評判があり、「鬼武蔵」と呼ばれていたとも言われます。ドラマでは城田優さんが演じ、鮮烈な印象を残していましたよね。
その長可、小牧長久手の戦いで出陣するにあたり、遺言状をしたためました。
当時の武将たちはみな討ち死にを覚悟して戦場に臨んでいたでしょうが、普通は遺言状など書きません。しかも問題はその中味です。
なお鎌倉時代の初めから、武士がなぜ戦場で命を賭けて戦うかというと、主君が自分の「家」に対して、働きに見合った「恩賞」を授けてくれるからです。
「恩賞」の代表はもちろん領地。ここで詳述はしませんが、武家社会の根本原理である「主従制」の基本ですね。
では長可は遺言状を通じて「もし自分が斃れたらその忠節を評価してもらって、あの城とこの領地を秀吉様から頂戴するように運動せよ」などと求めていたのでしょうか?
いや、これが、全く逆なのです。