森家の「繁栄」より「存続」

「我々あとめ、くれぐれ、いやにて候」。

「せん、ここもとあとつぎ候事、いやにて候」。

なお「せん」とは千丸。長可が討ち死にした場合、森家の跡を継ぐべき弟になります。

長可は言います。

「森家の金山城は大切な土地(岐阜県可児市に所在。かつては織田と武田の勢力の境目。当時は羽柴と徳川の勢力の境目)にある城なので、秀吉様の人選により、城主を決めてもらえ。千丸が私の跡をついで城主になるのは拒否する。千丸は今まで通り、秀吉様のおそばに仕えよ」と。

金山城主になれば、立派な大名ですが、戦場にかり出されます。一方、秀吉の側近として仕えれば、合戦の大役を担う必要はありません。戦場で死ぬ確率は低くなる代わり、領地は1万石も貰えれば御の字、という感じでしょうか。

つまり長可は遺言状を通じて、大きなリスクを伴う大名としての森家の繁栄より、家の存続を願って安全策を伝えたともいえるでしょう。