この小牧・長久手の合戦とは、当初より外交戦でもあったーー(『大日本歴史錦繪』. 国立国会図書館デジタルコレクション  (参照 2023-08-09))

松本潤さん演じる徳川家康が天下統一を成し遂げるまでの道のりを、古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第32回では、家康は秀吉(ムロツヨシさん)10万の大軍に対し、あえて前進して小牧山城に兵を集める。互いにどう動くか探り合いが続く中、榊原康政(杉野遥亮さん)は秀吉の悪口を書き連ねた立札をばらまいて秀吉を揺さぶり――といった話が展開します。

一方、静岡大学名誉教授の本多隆成さんが、徳川家康の運命を左右した「決断」に迫るのが本連載。第6回は「小牧・長久手の合戦の真実」についてです。

間近に対峙した家康軍と秀吉軍

天正十二年(一五八四)三月、犬山城(愛知県犬山市)から南下してきた池田(恒興)・森(長可)隊と、これを迎え撃った酒井忠次隊との間で、羽黒(犬山市)の合戦があった。森隊が池田隊からやや離れてしまったその間隙を突いて、酒井隊がこれを襲撃・撃破したのである。

家康はその後、二十八日に小牧山城(小牧市)を占拠し、信雄とともにここに本陣を置いた。他方で秀吉も、軍勢の多くを尾張に展開し、二十九日には小牧山にほど近い楽田(犬山市)に本陣を置いた。

両軍の軍勢は、『当代記』によれば、家康・信雄勢が一万五、六千、秀吉勢は一〇万といっている。

一〇万とはやや誇大であり、陣立書(合戦における部隊の配置などを記したもの)から推測される秀吉方の軍勢は六万余りとみられているが、いずれにしてもかなりの兵力差があったことはたしかである。