森家のその後

長可のイヤな予感は的中し、4月9日、彼は眉間を撃ち抜かれて絶命しました。

その後、残った千丸はどうなったかというと、命を的に戦ってくれた部下の領地を削る、なんて武家社会の掟破りはさすがにされなかった。

それで結局、秀吉の命により、千丸は森長重(のち忠政)として金山城主になりました。

さらに彼は徳川の世でも生き抜き、美作一国(岡山県北部)、18万石の大名(居城は津山)となって生涯を終えています。

【関連記事】
織田信長次男・信雄。独断侵攻して失敗。父の弔い合戦には貢献せず。秀吉の家臣になったのち追放…。でも長寿でしっかり戦国の世を生き抜いた、その「波乱の人生」を追う
家康と秀吉がついに激突!北条に長曾我部、毛利に上杉。勝敗のカギは「遠国勢力との連携」?実は<外交戦>だった小牧・長久手合戦の真実『どうする家康』
秀吉<最大の敵>は家康でも光秀でもなく柴田勝家だった!織田軍総司令官で武人の頂点…明らかになり始めたその実像とは?

「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。