「20年前、夫が他界したのと、3人の娘が独立したのがほぼ同時期でした。一気にみんないなくなってしまって、途方にくれたものです」(撮影:大河内禎)
加藤登紀子さんが10月5日の『徹子の部屋』に登場。加藤さんが弾き語りでミリオンセラーになった名曲『知床旅情』を熱唱。夫が遺した農場など、プライベートの様子も紹介します。今回は夫が他界、子どもも独立し、ひとり暮らしとなって始めた趣味などについて語った『婦人公論』2023年4月号の記事を再配信します。

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今年歌手デビュー58年を迎える加藤登紀子さん。夫を見送り、3人の子どもたちが自立した後、6年前に母も旅立ちました。完全にひとり暮らしになった加藤さんが心掛けている、ちゃんと生活するためのマイルールとは――(構成=村瀬素子 撮影=大河内禎)

緊急事態宣言でコンサートが中止に

私が暮らす部屋は、1964年の東京オリンピックのとき、国立競技場の聖火が見えるからと父が選んだマンションの一室です。ピアノが置いてあるこの部屋は、夫・藤本敏夫と新婚生活を送った思い出の場所でもあります。その後、3人の娘が生まれたので引っ越しをして、再びここに。

20年前、夫が他界したのと、3人の娘が独立したのがほぼ同時期でした。一気にみんないなくなってしまって、途方にくれたものです。

でも、自分に言い聞かせました。「家族という重荷をおろして、これからは私の好きにしていいのよ」と。

同じ建物内の別の部屋に住み、私を支えてくれた母も6年前に101歳で他界。完全にひとり暮らしになりました。

仕事をしていれば孤独ではないけれど、3年前、新型コロナウイルスの感染が拡大し、緊急事態宣言によりコンサートが全部中止に。スタッフにも会えないし、やたら寂しくなってね。そこで、嘆いて過ごすのではなく、こういう時こそちゃんと生活しようとマイルールを決めました。