地域に支えられている箱根駅伝
専門は違えども、やはり教育者となった孫の彰久さんは箱根駅伝の意義をこう語る。
「金栗さんが五輪に出て途中棄権して、外国選手と比べたら全然かなわないという状況だった。それを何とかしたいという思いが多分、当時のスポーツ界にはあったと思う。そのための選手育成プログラムが箱根駅伝だった」。
そして、それこそが一度限りのイベントで終わるのではなく、次の年も、その次の年も、2回、3回と続き、ついに100回になろうとする伝統の所以(ゆえん)だと指摘する。
澁谷を始め縁の下の力持ちがたくさんいた。彰久さんは「駅伝というものは極めて地域性がある。祖父も地域の方に協力していただいたし、箱根駅伝は沿道の方々の応援に支えられてきた」と語る。
100年以上前、巻き尺でコースを測定する澁谷の手元を照らし、暗闇の箱根山中を駆け上がるランナーたちの足元を照らした光は、今も明々と輝きを放ち続けている。
※本稿は、『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』(著:読売新聞運動部/中央公論新社)
2024年に第100回を迎える箱根駅伝。ライバルたちの熱い競り合い、逆境からの栄冠、番狂わせの力走……胸躍る勝負の歴史をつづる。