優しい巖が人を殺すはずがない

巖は、自動車整備の会社で働きながら19歳でボクシングを始め、静岡県代表になり国体で活躍したんです。それで上京してプロボクサーに。フェザー級で6位までいったけれど、優しい性格が災いしてKOのチャンスでも相手を追い込めなかった。体を壊して引退しました。

引退後は清水市のキャバレーでバーテンダーをし、その後はバーを経営。結婚して一男を授かりましたが、客商売向きの性格じゃないのね。うまくいかず妻にも去られて、清水市の味噌製造会社「こがね味噌」で住み込み従業員として働き出したんです。子どもは実家に預けてね。

日本列島がビートルズの来日に沸く66年6月30日。こがね味噌で専務一家4人が殺されて火事になったのをニュースで知りました。「あれっ、巖が働いているところじゃない。すごく可愛がってくれていた専務さんが殺されたなんて」と驚きました。

火事で巖がケガしてないかと心配で電話したら、「寮で寝ていたら専務の家が火事になった。強盗だか何だかわからん」などと興奮気味でした。

巖は毎週末、実家へ息子に会いに来ていたので、私も実家へ行きました。でも巖に特に変わったところはありません。後日、巖が「警察が僕を尾行しているみたい」と言っていたけれど、私たち家族は従業員全員に尾行がついているのかなと思っていた。

しかしある日、元プロボクサーの「従業員H」が聴取されているというニュースを職場で見て、仰天。ショックで電車に乗れず、タクシーで帰宅しました。

当時、巖は30歳。強盗殺人、放火、窃盗の容疑で逮捕され、犯行を自白したと報じられました。でも、あのおとなしく優しい巖が人を殺すはずがない。何かの間違いとしか思えません。報道は信用できず、テレビも新聞も見なくなりました。実家に押しかける記者には私が応対して、突っぱねたの。

家族は個別に聴取され、私も浜松中央署で巖の女性関係や借金のことなど聞かれたけど、そんなこと知りもしない。昼にカツ丼を出してくれたので、刑事に囲まれていたけど全部平らげましたね。

長兄(茂治さん)以下、家族で一致団結して「巖を助けよう」と弁護士費用を積み立てました。

<後編につづく