配慮すべきは「練習の終わり方」

アスリートやパフォーマーの練習や稽古において、私は「練習の終わり方」には十分配慮しています。仮に動きがサイアクであっても、少しでも浮上して終われば、サイアクから浮上した時の記憶が刻まれるからです。

本番はいつもいいコンディションとは限りませんし、どんなアクシデントやハプニングが勃発するかわかりません。そのような時こそ、「サイアクからなんとかした練習の時間と記憶」が生きてくるのだと思います。

継続力、持続力を目的としたときには「70本やる、10回やる」のやり抜く意志は絶対的に大切です。ですが、パフォーマンス向上を目的とした場合は、どこでいい感じが来るかはわかりません。

ですから「70本数えるけど、いい感じで終えてOK」というようなアレンジもひとつの方法だと思います。

※本稿は、『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』(星海社新書)の一部を再編集したものです。


可能性にアクセスするパフォーマンス医学』(著:二重作拓也/星海社新書)

現代におけるテクノロジーの発達は、人間の根幹を成す「運動」の欠落という大きなマイナスを招いています。「運動と共に理解すること」は人間本来の性質です。運動すれば、理解できる。理解できれば、予測できる。予測できれば、生きる可能性が広がるーー運動は本来、「生きる」に向かう行為なのです。本書は脳や身体の可能性を、現役のスポーツドクターがその根拠となる医学的背景とともに解説し、「視る」「呼吸する」などの具体的な側面から「パフォーマンスとはなにか」を紐解き、人間の心と身体における原理原則を共有します。「パフォーマンス医学」はあなたの可能性にアクセスします。