なぜか母とマルコはペンフレンドになっていた
私にしてみれば、その老人こそが怪しい人物だったが、とりあえず彼に自分の旅の意図と、ルーブル美術館を見てから帰るのだとたどたどしい英語で告げると、その表情には一気に不満が広がった。そして強めの口調で「西洋美術に興味があるのならなぜイタリアへ来なかったのだ、1ヶ月も期間がありながら」と言い、「そもそも、全ての道はローマに通ずという言葉を知らんのか」と繫げて大袈裟な溜息をついて見せた。
その数日後、無事に帰国を果たした私は、日本に着いたという知らせを「お前の母親から送ってもらいたい」という老人のリクエスト通り、母から彼宛に、ご心配をおかけしましたという旨の簡単な英文の手紙を送ってもらった。
間もなくして老人からも返信が届いたが、なぜかその手紙のやりとりを機に母と彼はペンフレンドになっていた。
マルコというその老人は北イタリアで陶芸工場を営み、自身も陶芸家であるということがわかった。おまけにバイオリンも嗜み、戦争中インドで捕虜になっていた時は仲間を集めてオーケストラを編成していた過去などが手紙に長々と綴られていた。それが老人と同じく戦争体験者で音楽という表現を生業としている母の好奇心をくすぐったらしい。