マルコの孫と知り合い、結婚することに

高校生になって間もなく、進路の先生に「絵は趣味にするべきだ」と強く説得されるようになった頃、母から学校を休んで一度イタリアへ行ってみたらどうかと促され、私はなんとなくその言葉に乗ってイタリアへ向かった。

私に学校を辞めてイタリアへ留学するよう提言したのはマルコだった。イタリアへ到着した私はとりあえずマルコの暮らす街へ移り、その後地元の画塾に少し通ったあと、彼の勧めでフィレンツェの美術学校へ入ることになった。

フィレンツェに移ってからは電車賃もままならない困窮生活が始まり、マルコともすっかり疎遠になってしまったが、母との交友は彼が亡くなるまで続いた。そしてそのだいぶあとになってから母の紹介で私はマルコの孫と知り合い、結婚することになった。

その1年後、私たちは夫の留学先だったエジプトのカイロで結婚式をあげ、シリアのダマスカスに移り住み、その後はポルトガルのリスボンに家を買って暮らしていたが、急遽シカゴ大学で博士号を取ることが決まった夫は私たちをリスボンに残して単身で渡米することになった。

彼の母親がフランスからイタリアへの飛行機移動の最中に、隣に座った米国人の女性と仲良くなり、このシカゴで教師をしている女性の強い薦めで夫は幾つかの候補先からシカゴ大学を選ぶことになったのである。その2年後には私と息子もシカゴに移動して3年間を過ごすのだが、息子は結局地元の高校を卒業後もアメリカを離れず、ハワイの大学に進学した。

全ては、義母が飛行機でシカゴの女性と出会っていなければあり得なかった顚末である。