イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。今回は「顔見知りがいなくなる町で」。26年住んでいるブライトンの街。周囲は顔見知りばかりと思いきや、いまや近隣は知らない人だらけだそうで――。(絵=平松麻)

ブライトンのバブル

26年も同じ家に住んでいると、近所はみんな顔見知り、なんてことになりそうなものである。確かに、10年ぐらい前ならうちの周囲もそんな感じだった。だが、いまや近隣は知らない人だらけである。

わたしが住んでいるのは元公営住宅地で、団地ではなくてセミディタッチド・ハウスという、建物も庭も真ん中で分断された、2世帯が住める一軒家(英国の地方の町には多い)だが、こうした公営住宅には「安っぽい、ダサい、地域の環境がよろしくない」という偏見がある。だから、あんまり値が上がらなかった。しかし、住宅価格が高騰するにつれ、家を買えなくなった若い人たちが安い公営住宅を買ってリフォームにお金をかけたり、改築したりするようになった。そうこうするうちに、他の地域に比べれば安いとは言え、元公営住宅地の価格まで上がってきた。

その頃、ご近所の家が一軒、また一軒と売りに出始めた。価格が上がったところで家を売って、もっと田舎に安い家を買い、余ったお金を老後のために貯金する、という生存戦略を取る人が出てきたのである。もともと、大金には縁がない労働者階級の多い地域だったから、みんな自分の家の値段が上がってきたことにザワつき、価格が落ちないうちにさっさと売ろうと考えたのだ。

ここ数年、この動きにさらに拍車がかかった。コロナ禍が終わったら住宅バブルがはじける、物価高と生活苦の時代到来で住宅バブルがはじける、と言われ続けてきたからだ。だが、ブライトンのバブルはいっこうにはじけない。