東京へ行く決意
そこへ帝劇のSGDの話である。
松竹はOSSK(大阪松竹少女歌劇団)の給金よりも高額の月給200円を提示してきた。残された養父母を支えなければならないシヅ子にとっては、まさに渡りに舟だった。しかも引き抜きではなく、同じ松竹内の劇団への移籍である。
こうしてシヅ子は単身、東京へ行く決意をしたのである。東京のステージに立てば、将来が約束されている。今まで以上に家にも仕送りができる。
上京する前夜、養母・うめは、シヅ子を道頓堀の鰻屋に連れていった。すでに胃を患っていたうめだったが、まむし(鰻丼)を平らげて、シヅ子に「いったん、あんたを手離す決意をしたからには、まむしのようにな、わてはぬらりくらりと生き永らえて、いつまでも気ぃ長うして、あんたの出世を待ってるよって」自分や家のことを心配せずに、仕事に専念しなさいと、気丈に話した。
それから1年半、シヅ子はSGDのステージで懸命に歌って踊り、少女歌劇のトップスターから、将来を嘱望されるシンガー、エンタテイナーとして目覚ましい成長を遂げていった。