誘拐をめぐる圧巻の家族ドラマ
キッドナップ(誘拐)小説には名作が多い。角田光代『八日目の蝉』、貫井徳郎『慟哭』。第17回本屋大賞を受賞した凪良ゆう『流浪の月』も、誘拐された子と犯人を描いた作品だった。『存在のすべてを』もまたそれに連なる傑作だ。犯罪の残酷さと影に隠された恩情が錯綜する重厚なミステリーである。
1991年、神奈川県で前代未聞の「二児同時誘拐」が発生する。ひとりは、厚木市の会社社長・立花博之の息子で小学6年生の立花敦之。もうひとりは、横浜市で年商1000億の売り上げを誇る海陽グループトップ・木島茂の孫で4歳の内藤亮。それぞれ身代金の要求があったが、敦之は2000万、亮は1億と金額が大きく違っていた。
ここで県警は大失態を晒す。犯人と思しき人間を取り逃がし、身代金の受け渡しに失敗したのだ。敦之は生きて発見されたが、亮の行方は杳として知れなくなってしまった。
3年後、祖父母である木島夫妻のもとに、しつけも教育もされ、抜け替わった日付ごとに保存された乳歯を携えた亮が戻ってきた。しかし警察に不信感を持つ夫妻と亮は捜査への協力を拒絶し、事件は迷宮入りとなった。
前半は、30年後にこの事件を追うことになった大日新聞の記者、門田次郎の視点で進む。マニアックな趣味で結びついた県警の刑事から託された情報をもとに、現在は人気写実画家、如月脩と名乗る亮の足跡を追う。
後半は空白の3年間、亮を養育した者たちが主人公だ。亮が絵を描くことについてギフテッド(特定の学問や芸術性、言語能力などにおいて天賦の才を持つ人)であると知り、掌中の珠と慈しむ描写は胸に迫る。そして、この時の亮の初恋がまるでBGMのように物語に寄り添い、それが切ない。
子どもは白紙だとよく言われる。だがその紙の質はすべて違う。如月脩という画家がこの後どのように成長していくのかを想像し、余韻を味わいつつ読み終えた。