「養成所に入って初めて、仲間からの刺激で読書をしたり洋画も観るようになって」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第24回は俳優の篠田三郎さん。高校二年生の頃大映のニューフェイスに応募し見事合格。養成所でたくさんのことを学んだという篠田さん。その後『ウルトラマンタロウ』など、テレビの世界に活躍の場を移した、そのきっかけとは――(撮影=岡本隆史)

高校二年で大映ニューフェイスに

「清潔感のある好青年」という昔からのイメージのままに年を重ねるという、至難のことを実践中の篠田三郎さん。誰からも好意を寄せられ、いつも救いの手が用意されているようなのは、ひとえにその人柄のよさによるものなのだろう。

最近、劇団民藝の『ローズのジレンマ』(ニール・サイモン作)で共演した樫山文枝さんの「やっぱり人品骨柄がよろしいから、あの佇まいが素敵」という感想がこの人を物語っている。

――この連載のタイトルの「名優」というのがどうも。「四月一日」とか「特別篇」とかだと笑えるんですが。

僕は東京・板橋区の成増で生まれ育って、父親がプラスチック製品の工場を経営してましたから、その従業員の人とかとよく映画を観て育ちました。

また、すぐ近所に東映の大泉撮影所があって、やんちゃな友達と自転車に乗って行っては、俳優さんが出入りするのを見ていましたね。

その頃観た映画では、安井昌二さんの『ビルマの竪琴』や仲代達矢さんの『人間の條件』に感動しました。ですから映画がとても身近にあったわけなんです。

それで高校二年の時、大映のニューフェイスに応募しました。何千人という応募者があったようですが、二次三次に合格して、最終のカメラテストに残ったのが40人くらいかな。そこで当時の永田雅一社長の厳しいカメラチェックの末に採用、ということに。