病院であっという間に息を引き取りたい
私の母が亡くなったのも病院だった。亡くなる三年ほど前から、私たちと同居していたが、母は自分でごはんを作り、洗濯もしていた。
ところが散歩中に土手で転びそうになり、手をついたら骨折。それから少しずつ元気がなくなっていった。検査を受けたいというので近くの病院に検査入院をしたら、肺癌が見つかった。年齢を考えると、手術は困難という状況だった。
母は見かけによらず怖がりなので、告知はしないことにした。病院の個室に入れて、病室を綺麗に整え、友達を頻繁に呼んだ。友達が来るたびに缶ビールを開けて、本人も飲んで、小さなパーティのようだった。
入院して二ヵ月ほど経ったある日の夕方、病院から電話があった。「今日がお別れの日になるでしょう」と担当医が告げた。
急いで病院に駆けつけると、母は意識があるのかどうか分からない状態で、目を閉じたまま、フーフー、ハーハー苦しそうにしていた。そんな母を見ていたら涙があふれてきて、あまりの悲しさに言葉が出てこない。何十年も女優を続けてきた私が、台詞ひとつ言えなくなったのだ。
すると夫が後ろからそっと囁いてくれた。
「今まで、どうもありがとう。メイコはママが大好きよ、と言うんだよ」
混乱していた私は、そのまま言葉を伝えた。お医者さんから「あまり長くいるのもいけない」と言われ、病院を出てしばらく歩いたところで携帯が鳴った。「今、お母様が亡くなりました―」
またしても、私は親の死に目に会えなかった。
でも、こう思うこともある。亡くなる瞬間はあまりに悲しくつらいものだ。だから、怖がりの私がそんな苦しみを味わうことのないように、神様が死に目に会えないよう配慮してくださったのだ。
私自身も、子どもたちにつらい思いをさせたくはない。病院で医者に囲まれながら、あっという間に息を引き取るのが理想だ。
――中村さんのご冥福をお祈りいたします。
*本稿は、『大事なものから捨てなさいーメイコ流 笑って死ぬための33のヒント』(講談社)の一部を再編集したものです。
『大事なものから捨てなさい-メイコ流 笑って死ぬための33のヒント』(著:中村メイコ/講談社)
19年には骨折と入院を経験し、コロナ禍で女優業も思い通りにならない。そんななかでも明るく生きる喜劇役者が語る「生きるヒント」。