「銀巴里」で出会った綺羅星のような天才たち
私は10歳のとき、長崎で原爆投下の被害にあいました。その影響もあって、決して身体が丈夫ではありません。それなのにこの歳までずっと表現者でいられたのは、奇跡のようなものです。
中学時代に音楽に目覚め、オペラ歌手を目指して上京し、音楽高校に入学しました。その後、実家と絶縁したため高校を中退。銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里」のオーディションを受け、歌い始めたのは16歳の時です。
そのうちファンが増え、江戸川乱歩さんや川端康成さん、三島由紀夫さん、安岡章太郎さん、吉行淳之介さん、大江健三郎さん、寺山修司さんなど、綺羅星のような天才たちが聴きに来てくれるようになりました。
なかには、中原淳一さんなど画家もいました。ある日、銀座を歩いていたら東郷青児さんが5、6人のお供を連れて歩いていらして。その中の1人が、「きみ、きみ。先生が会いたいと言っている」と私を呼びに来ました。
聞けばモデルになってほしいということでしたが、私は当時、ほかの画家のモデルを務めていたので、「仁義に反します」とお断りしたのです。東郷さんはそれでもお怒りにならず、「銀巴里」に唄を聴きに来てくださいました。