判定しない努力

自分を判定すべきでないのと同じように、子どものことも判定しない努力が必要です。

何かを箱にしまい、ラベルを貼っただけで忘れてしまえれば都合はいいかもしれませんが、良い影響はありません。

自分を判定すべきでないのと同じように、子どものことも判定しない努力が必要です(写真提供:Photo AC)

その箱のなかに入れられた人にとってはなおさらです。子どもを判定するのはなんの役にも立ちません。

「おとなしい子」「不器用な子」「うるさい子」などといったラベルに縛られていては、自由に伸びていくことが難しいからです。