「何か自分で商売を起こしたい」

数字に強い関心を示し、いつも大きな五つ玉のそろばんに触って遊んでいました。そのお陰で、幼少時から足し算、引き算、かけ算ができたそうです。高等小学校に通うようになると、暗いうちに起きて朝食の用意をし、妹の弁当を作って学校に送り出しました。小さい頃から料理が得意だったのです。

学校を卒業すると、さっそく祖父の仕事を手伝います。しばらくすると、東石郡守(知事)の森永という人から、「図書館の司書にならないか」と声をかけられます。どこかほかの子どもとは違う大人びたところがあったからでしょう。喜んで引き受けましたが、毎日、本の貸し出し、受け取り、棚の整理ばかりで、どうも仕事が性に合いません。

『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)

「何か自分で商売を起こしたい」という気持ちを抑えられなくなります。

「どうせやるなら、誰もやっていないことをやりたい」

二十二歳になった時、独立を決意します。「東洋莫大小(メリヤス)」という会社を台北市永楽町に設立します。資本金は当時のお金で十九万円でした。費用は祖父が管理してくれていた父の遺産を役立てました。

メリヤスはポルトガル語で靴下という意味で、絹糸や毛糸を編み、伸縮性のある繊維に仕立てたものです。当時、新しい編み機が登場して、大流行する兆しがありました。編み物のメリヤスの仕事なら、祖父の織物業の邪魔にならないだろうという配慮もありました。

百福はいつも、メーカーに自分が考えた素材やデザインで特注品を作らせました。これが大当たりします。日本で仕入れて台湾に輸出するのですが、いくら作らせても間に合いません。大阪南船場に「日東商会」という貿易商社を作りました。ここを日本の事業拠点として、次々と新しい仕事に取り組むことになるのです。