「人間は食べなければ生きてゆけない」
1946(昭和21)年の冬になりました。
終戦から一年たっても、まだ世の中は混乱していました。食べるものがなく、人々は芋のツルまで食べて飢えをしのいでいました。
百福と家族は、疎開先だった上郡の家や、近隣での事業を整理して、大阪府泉大津市に急ごしらえで建てた家に移ることになりました。上郡からの列車は満員で、窓ガラスは割れてなくなっていました。その窓から乗り込み、列車にしがみつくようにして大阪駅に着きました。そこから御堂筋に沿って、持てる限りの荷物を担いで、南海電鉄の終点難波駅まで歩きました。
街には腹をすかせた子どもたちや、やせ細った浮浪者がたくさんいました。道端にじっとうずくまっているのは、今亡くなったばかりの人でした。百福は何人も何人も餓死者を見ました。胸が押しつぶされそうなほど、苦しくなりました。
「人間は食べなければ生きてゆけないのだ」
そんな当たり前のことに気が付きました。
「衣食住というが、食がなければ衣も住も芸術も文化もあったものではない」
そう悟ったのです。
これから、世の中のために何をすればいいか。答えは明らかでした。この時、百福はすべての仕事をなげうって、食に転向する決意を固めたのです。