「よし、塩を作ろう」

ようやく泉大津での落ち着いた生活が始まりました。

当時の泉南海岸には豊かな自然が残っていて、高石市や堺市のあたりまで白砂青松の海岸が続いていました。海水浴も楽しめました。今は、関西国際空港ができ、堺泉北臨海工業地帯が連なっていて、昔の面影はありません。

海の水は澄んでいて、地引網を引くとおもしろいように魚が捕れました。近くの海岸に、旧造兵廠(旧日本軍の武器製造工場)の広大な跡地が広がっていて、空襲をまぬがれた建物や倉庫がそのまま残っていました。

「こんな天然資源をほうっておく手はないな」

そう思うと、百福はもう、居ても立ってもいられなくなりました。

跡地は大阪鉄道局の管轄であることが分かりました。さっそく、終戦処理を担当していた部署に、その使用を申し出ました。何度も熱心に働きかけたかいがあって、建物と資材の払い下げを受けることができました。土地は無償で貸与されました。

敷地は二十万平方メートルもあり、中央には幅六メートルの道路が走っていました。高圧電線が引き込まれていて、機械のスクラップや錆びた鋼材が野積みされ、浜には銃弾の薬莢が散乱していました。倉庫を二棟買い取ったところ、一つには食用に使える綿実油が、もう一つには砂糖が保管されていました。そして極めつけは、工場の構内にたくさん積まれていた薄い鉄板です。

それを見て、ひらめいたのです。

「よし、塩を作ろう」

本稿は、『チキンラーメンの女房 実録安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。


チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)

NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?

幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。