「日本の復興は食から」

この年の10月7日、仁子に待ちに待った男の子が生まれました。

宏基と名づけました。将来、百福の後をついで、日清食品を世界企業に成長させていくことになるのです。

百福は「日本の復興は食から」というかねてからの思いを忘れていませんでした。交通学院を作った翌年に、泉大津に栄養食品を開発する「国民栄養科学研究所」を設立しました。

街にはまだ浮浪児が多く、栄養失調で行き倒れになる人が後を絶ちません。人々は小麦粉の生地を手でちぎって丸め、だしで煮た水団(すいとん)や、菜っ葉を浮かせただけの雑炊を食べて飢えをしのいでいました。国から配給される食糧では足りず、焼け跡にはヤミ市が立って、たいへんな繁盛でした。

最初に研究したのは病人のための食品です。健康な人でも栄養失調の一歩手前にいた時代です。病気で入院している患者が、病気が原因ではなく栄養不良で命を縮めていたのです。大阪市立衛生研究所や大阪大学の栄養の専門家に協力を仰いで研究を始めました。

百福は新しいテーマが見つかると、我を忘れて没頭してしまいます。