「日本人はこんなにラーメンが好きなんだ」
同じ頃百福は、将来の仕事に大きな影響を与えた「心の原風景」とでもいうべき二つの出来事を経験します。それをご紹介しましょう。
大阪阪急電鉄梅田駅の裏にはヤミ市がありました。
こごえるような寒い夜でした。百福が通りかかると、二、三十メートルはある長い行列ができていました。一軒の屋台があって、裸電球の薄明かりの下に温かい湯気が上がっていました。ラーメンの屋台でした。粗末な衣服に身を包んだ人々が、寒さに震えながら順番が来るのを待っているのです。そして、温かいラーメンをすすっている人の顔は幸せそうな笑顔に包まれていました。
「日本人はこんなにラーメンが好きなんだ」
当時としてはどこにでも見られる風景でしたが、百福の心に強く焼きつけられたのです。
占領下、アメリカは余った小麦を日本に輸出し、日本人に粉食を奨励していました。厚生省はこれを受けてパンやビスケットを作り、学校給食などに配給したのです。それが百福には不満でした。栄養食の関係で監督官庁の厚生省に出入りする機会のあった百福は、栄養課長の有本邦太郎(後の国立栄養研究所長)に疑問をぶつけました。
「パン食にはスープやおかずがいるが、ほとんどの日本人はパンだけを食べている。これでは栄養が足らないでしょう。東洋には昔から麺という伝統的な食事があるじゃないですか。麺ならスープや具材もついて栄養もあります。同じ小麦粉を使うのなら、なぜ麺類を奨励しないのですか」
有本は困りました。
当時のうどんやラーメンは零細な家内工業で作られていて、大量生産する技術や配給ルートはありませんでした。
「それほど言うなら安藤さん、あなたが研究したらどうですか」と答えました。
百福には麺類について深い知識があったわけではなく、その場はそれで引き下がりました。
「ラーメンみたいなものは研究に値しません」
百福が泉大津に設立した国民栄養科学研究所の研究者に相談してみると、そんな風に一蹴されました。
あきらめざるを得ないのか……。
しかしその日から、屋台の行列と厚生省とのやり取りが百福の脳裏にすみついて離れなくなったのです。
百福、三十八歳。
インスタントラーメンが日の目を見るまで、あと十年です。
本稿は、『チキンラーメンの女房 実録安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。
『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)
NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?
幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。