パリだ。憧れのパリだ

それから20年あまり、海外というものを知らずに一生を終えるのか、などと思っていた矢先に、2か月のパリでの仕事が入った。しかも音楽ではなく、なぜだか役者の仕事だという。

『車のある風景』 (著:松任谷正隆/JAF Mate Books)

それが非現実に映ったせいなのか、僕は上の空で「やります」と答えていた。今だから正直に言うが、仕事自体には何の興味も無かった。ただ、海外に行く最後のチャンスだ、と思ったのだ。

旅立つその日までは本当に気が重かった。当日などは、成田に行くクルマが事故を起こし、行けなくなったらいいのに、なんてずっと考えていた。

残念ながらクルマは予定通りに到着し、僕は夢遊病者みたいな感じでふらふらと撮影隊一行のグループに近づいていった。

飛行機は乗ってしまえばなんてことはない。ジャンボということもあって至極快適、袋を取り出す人なんてひとりもいやしない。

CAの前の広いスペースで僕は小学生みたいにはしゃいでいた。それが最高潮に達したのは、機内の「ただいま、ドーバー海峡上空を飛行しております……」というアナウンスがあったとき。

いやあ、ついに僕は浦島太郎状態を脱出したぞ、という感動に包まれていた。数十分後、飛行機は高度を下げ、早朝の深い霧の中を降りていく。ふと霧の隙間から空港そばの小道を行く、黄色いヘッドライトのクルマが数台見えたときには本当に泣きそうになった。

パリだ。憧れのパリだ。この決断をして本当に良かった、と。