東武鉄道の歴史

最初のターミナルは北千住であり、その後、現在の「とうきょうスカイツリー駅」のあたりに「浅草」を名乗るターミナルを設ける。

隅田川は越えられないという状況であった。なお、このターミナルは「浅草」から「業平橋(なりひらばし)」へと名称変更し、貨物の取り扱いの拠点となっていた。

『関東の私鉄沿線格差: 東急 東武 小田急 京王 西武 京急 京成 相鉄』(著:小林拓矢/河出書房新社)

現在の浅草に東武鉄道が進出するのは1931(昭和6)年5月。この頃にはすでに、東京地下鉄道が現在の東京メトロ銀座線を開業させていた。

当時の浅草は、江戸時代から続く繁華街だった。浅草寺(せんそうじ)などを中心に、大衆演芸の一大拠点であり、庶民の娯楽の中心地となっていた。

この時代の下町は、工場などが密集し、その近くで労働者が暮らすという「職住接近」のエリアであり、商業的・文化的蓄積が伴うような私鉄沿線ビジネスモデルとは異なるライフスタイルを送っている人が多かった。

たとえば東上(とうじょう)線沿線では宅地開発を行ない、一定の社会階層の人たちへのサービスを提供することに成功している。

とはいえ、戦前の東武沿線はいまのように住宅が密集していたわけではなく、西新井あたりまでが通勤区間だったといえる。