“お母さん”になった日
陣痛の痛みは、想像よりも軽いものだった。ただし、これはあくまでも私の主観である。入院中、妊婦さんの悲鳴を何度も聞いた。痛みの度合いは人それぞれで、中には失神してしまう人もいるという。命を育み産み出す行為は、千差万別あれど命がけであることに変わりはない。
およそ15時間近くに及ぶ陣痛の末、元気な男の子が産まれた。自分が“産んだ”というよりは、なにか底知れぬエネルギーの塊が自らの意志でこの世界に飛び出してきたような感覚だった。驚くほど大きな声で泣き叫ぶ息子を抱いて、気づけば笑っていた。
この世界はまあまあしんどいけど、そう悪いものでもないよ。
そう心の中で呟きながら、「ありがとう」を伝えた。無事に産まれてきてくれたこと、今ここにいてくれること、私を“お母さん”にしてくれたこと、そのすべてに感謝したい気持ちだった。
ここからはじまる壮絶な夜泣きの日々、育児ノイローゼに苦しんだ幼少期を経て、長男は今も健やかに育っている。
「お母さんって、俺のこと大好きだよね」
何の疑いもなくそう言う息子は、中学に上がってからというもの、ずいぶんと精悍な顔つきになった。
大好きだよ。何歳になっても、あなたが何をしていても。そう思える今があるのは、とある“物語”のおかげなのだと、いつの日か彼にも話せたらいい。銀色のタイトルと白い雲が浮かぶ、やわらかな装丁の本をそっと差し出しながら。
※引用箇所は全て、村山由佳氏著作『すべての雲は銀の…』本文より引用しております。