昨日まで同僚だった勝頼が…

後継者を自害させてしまった信玄は、新たな後継者を決めます。そこは彼の偉いところで、「自分が死んだ後のことは知らない」という謙信とは違い、きちんと新たな後継者を定める。それが四郎勝頼です。

勝頼は側室が産んだ子どもです。正室の産んだ次男と三男は体が弱くて向かないということで、四男が指名されることになりました。

この勝頼、それまで母方の諏訪姓を名乗っていました。諏訪の家はもともと、勝頼の祖父に当たる人を信玄が滅ぼしていて、その娘を自分の側室にしていたわけです。

戦国ならではのハードな状況ですが、それで生まれた勝頼に諏訪家を継がせていました。つまり勝頼は、もともと諏訪家の主として生きていくことが義務づけられており、彼は本来、兄の部下、武田の一武将として生きる運命だったのです。

ほかの武将たちにしてみれば、昨日までは同僚だった人物。その同僚がある日から自分たちの主人になると聞いたら、恐らく複雑な気持ちになったことでしょう。

まして、信玄は偉大なカリスマ。いつの時代も同じですが、偉大な人物が亡くなると、後継者はその人と比べられて、なにをやってもしょぼく見えてしまうことになる。これを回避するためには、徳川家康が設計したように、システムに移行してしまうしかないでしょうね。

徳川幕府では、それぞれの能力はあまり機能する必要がありません。たとえ無能だろうが長男が跡を継ぐようにシステム化することで、安定を実現していました。

たとえば二代将軍秀忠は優秀な人物でしたが、その子は三男・国松のほうが優れているという風評があった。しかしシステムの定めとして、次男・竹千代が後継者となり(長男は早逝)、三代将軍家光になりました。

人物単位で抜擢するか。システム化して、無条件に長男が継ぐと決めておくか。これはなかなか難しい問題です。