武家の主従制の特徴
それは位階で言うと五位、官職では検非違使の尉(けびいしのじょう)。
警察の高級官僚というようなところですね。トップではないが、警視庁の中の偉い人。キャリアの高級警察官僚というような位置づけです。それで彼のことを判官(ほうがん)と呼ぶわけです。
「判官びいき」の判官の語源ですが、検非違使の長官は「かみ」、次官は「すけ」、3番めの「じょう」=尉が判官と呼ばれるのですね。
ちなみにさらに次は主典(さかん)。一方、五位は大夫(たゆう)と呼ばれます。つまり義経は大夫判官という官職をもらったわけです。
しかし、これがまずかった。当時の頼朝が、なにを構想していたかというと主従制。主従制とは主人と従者の関係。これを構築することが彼にとっての最大の課題だった。
「主人と従者という意味なら、平安時代における朝廷の天皇と貴族の関係も主従では」などと思われたかもしれません。
武家の主従制のどこがオリジナルかというと、それは「命懸け」にあった。
主人が従者に御恩を与える。従者は主人のために奉公をする。これが主従関係の基本ですが、武家の場合は、その主人に従う際に命懸けの奉公を行うことになるのです。
具体的にいえば、戦争に出て、命を投げ出すことになる。
ここはよく勘違いされるところですが、戦場に出て敵の首しるしを取るなどして手柄を立てる、ということが奉公ではないのです。そうではなく、将軍の馬前で、つまり将軍が見ているところで討ち死にを遂げる。それでいい。
手柄を立てることではなく、自分の身を犠牲にして、献身的な振る舞いをすることだけで、それで十分に命懸けの奉公として数えられることになります。